少年時代は野球に熱中する球児だった。10歳で母を亡くし、父が営んでいた広告事業も行き詰まった。
その頃、将来は経営者になることを決意する。


神奈川県立希望ヶ丘高等学校に進学。
高校時代は図書館にこもって本ばかり読んでいたが、進路指導の教員から、経営者を目指すのなら大学で勉強して、様々な人生経験を積んでからでも遅くはないとアドバイスを受け、明治大学商学部に進学。
大学在学中、大規模なイベントを多数企画し、実施している。大学卒業間際の1982年2月に北半球を放浪し、放浪中に外食産業の素晴らしさに気づいたことがきっかけで、後にレストラン経営の道を歩むこととなった。



大学卒業後は経営コンサルタント会社に勤務し、経理を学んだ。
その後退職し、佐川急便(当時の東京支社管内)でセールスドライバーとして1年間勤務。
起業のため、1年間で300万円を稼いだ。
同社の先輩に、アダルトビデオメーカーソフト・オン・デマンドの元社長・高橋がなりがいる。
セールスドライバーとして過酷な仕事をしている時、祖母に家事などで助けられたことが後にワタミが介護事業に参入する動機に繋がったという。


1984年
、有限会社渡美商事を設立。経営不振のつぼ八の店舗を買い取る形で、フランチャイズ店オーナーとなる。

1987年に社名をワタミフードサービスと改称し、独立。
1996年に株式店頭登録、1998年に株式上場を果たした。
2002年には、ワタミは全300店舗を超える規模となった。


また、2002年以降、外食以外の産業にも進出しており、2002年に農業、2005年に介護、2008年に高齢者向けの弁当宅配事業にそれぞれ参入している。
 「地球上で一番たくさんのありがとうを集めるグループになろう」という理念のもと、人が差別化となる労働集約型事業を展開し、独自の6次産業モデルを構築した。

2009年、ワタミ社長を退任し、同社会長に就任した。

2011年2月15日、ワタミの代表取締役会長を辞任し、非常勤の取締役最高顧問となった(後に、非常勤取締役会長になる)。


2011年4月、無所属で東京都知事選挙に出馬したが、落選。

同年6月、岩手県陸前高田市の参与に就任した。

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